七十にして矩を踰えずの意味, 類義語, 慣用句, ことわざとは?
『六十にして耳順(まど)う』 鄭国から陳国に行った孔子は、六十歳を迎えていた。 秋に、魯国の季桓子 (女楽にふけったエロ宰相) が病気に倒れた。 手押し車で外出し、魯の城壁を見ながら嘆息して言った。 「昔、この国は興隆しかけたのに、 「私が孔子に罰せられるような事をしたために、 「魯は、だめになってしまったなぁ・・・ 斉の国から女楽を受けたために孔子は魯を去ってゆく件の事件 怪しげな歌舞舞い踊る美女の祭典に溺れど、後になって後悔をする。 これこそ後の祭り (うまぃ♪) そして後継ぎの季康子に言った。 「私が死に、お前が魯の宰相になったら、必ず孔子を呼び戻せ」 (世襲政治善き哉悪き哉 むじゅぃところっすね) 数日後、季桓子が没して季康子が宰相となった。 葬儀が終わると季康子は早速孔子を招こうとした。 しかし、公之魚 (妙な名前) が言った 「昔、先君の定公が孔子を用いたが使いこなせず、諸侯の物笑いになりました。 (良い道具も悪い大工に使われたらいいものはできない) 今また孔子を招いて使いこなせなかったら、また諸侯の物笑いになるでしょう。」 (なんて へたれだ) では誰を招けばいいか?などと、世襲の宰相は妙な名前のお魚に訊いてみる。 「孔子の門人の冉求(ぜんきゅう)をお招きください」 一流の料理人は一流の包丁を使う。 アマチュアな料理人はスーパーの包丁を選ぶってとこ?